スマホは現代人の人生を奪っている

スマートフォンが普及し始めて約15年、今や幼稚園児の時から使っていたという人がいるほど、スマホは日常に溶け込んでいる。Web検索やSNS閲覧などの娯楽アイテムとしてだけでなく、財布の役割を果たす便利アイテムとしても使われていて、日常生活における必需品としての地位を確立している。しかし、確かに便利アイテムとしてのスマホは優秀だが、娯楽アイテムとしてのスマホは悪魔のような存在だ。現代人はスマホによって人生を奪われている。

スマホに人生を支配される

スマホにはすべてが詰まっている。友達や趣味仲間と繋がっているSNSやメッセンジャーアプリ、面白そうな動画が無尽蔵に出てくる動画サイト、話題が尽きないニュースサイト、デイリークエストやアップデートで忙しいゲームアプリなど、娯楽の多くをスマホ1台で楽しむことができる。

こうした娯楽には心理学などを利用し、ユーザーに長く使ってもらえるような設計が施されている。そうすることで似たようなアプリが乱立するインターネット上で、ユーザーを獲得して定着させることができる。例えばYouTubeのおすすめ動画はその最たる例であり、ユーザーは次から次へと動画を開き、YouTube上を回遊し続けるように仕組まれているのだ。1つのアプリだけで大量の時間を消費するにかかわらず、こういったアプリが大量にスマホに入っている。

スクリーンタイムなどを使ってスマホの利用時間を可視化してみると、想像以上の時間をスマホに費やしていることが分かる。総務省のデータによれば、2023年において10代、20代は平日3時間以上を、30代は2時間以上を携帯電話におけるインターネット利用に費やしている。スマホをなるべく触らないようにしている私ですら1日平均1時間を費やしていて、自分が思っている以上にスマホを使用している時間は長い。仮に20歳から80歳まで毎日3時間をスマホに費やすとすると、人生の約9%に当たる7.5年をスマホに充てることになる。たった9%と思うかもしれないが、人生の60%弱は仕事(学校)と睡眠に使うため、スマホ使用時間は人生における可処分時間の20~25%ほどに相当する。

こういった娯楽は人生の役に立つことはほぼなく、時間の無駄になっていることも無視できない。他者の煌びやかな投稿で嫉妬心を掻き立てられたり、有益な情報を観て賢くなった気になったり、明日には忘れているような動画を大量に観たり、何の意味があるのか。もちろん娯楽のすべてが無駄だとは言わないし、無駄があるからこそ人生が色づくのだが、怖いのはその無駄を他者にコントロールされていることだ。YouTubeで次々に動画を観てしまうのは「次の動画を観よう」という自分の意志が働くからではなく、開発者の術中に脳が嵌ってしまっているからであり、いわば他者の意思に従っている。そんな奴隷のような状態が自分の人生と言えるのか。自分の人生を生きるためには、他者の支配下から脱却して自分の意思を働かせる必要がある。

難:スマホの支配から抜け出す

現代人はスマホを使っているのではなくスマホに使われて支配されているが、その支配から抜け出すのは至難の業だ。スマホは楽しい物だと脳が完全に覚えさせられているからだ。SNSのタイムラインやショート動画をスクロールするとき、そこにユーザーの意思はなく指が勝手に動いている。仮にSNSなどの娯楽アプリをアンインストールしても、代わりにネットサーフィンしたりカメラロールを開いて過去の写真を眺めたりするだろう。家に帰ったときに無意識で鍵を閉めるように、スマホの使用は自動化されていて、無意識でスマホを手に取り、無意識でアプリを開く。机に座った受験生がスマホを触ってしまったり、布団に入りながらスマホを触って気づけば深夜になったりしているのは自分の意志ではなく、開発者の巧みな術によって行動が操られているからなのだ。

このスマホの支配から抜け出すためには、脳を退屈に慣らす必要があると考えられる。脳は楽しさの連続であるスマホの刺激に慣れてしまって退屈を忘れており、常にスマホを求めるようになる薬物中毒と言える状態になっている。つまり徐々にスマホを遠ざけていき、脳を正常状態に戻さなくてはならない。1つの解決策としては、スマホを物理的に遠い場所に置くことだ。自分の部屋を持つ学生であれば、学習時や就寝時にリビングにスマホを置くことで、無意識にスマホに手を伸ばすことがなくなる。トイレにスマホを持ち込まないといった手法も効果的だろう。しかしこれは、スマホ以外のゲームなどの甘美な誘惑に逃げるだけになる可能性がある。歩きスマホや電車内でのスマホなど、代替手段が少ない状況でスマホを禁じ、強制的に退屈な時間を作り出すことが必要かもしれない。

いずれにしても、スマホで得られる大量の刺激に慣れてしまった脳を元に戻し、スマホの支配から抜け出すことで、これから失われる予定だった人生を取り戻し、自分の人生を生きられるようになる。