『ドラクエモンスターズ3 魔族の王子とエルフの旅』の感想レビュー

ドラクエの日のセールで、Steam版の『ドラクエモンスターズ3 魔族の王子とエルフの旅』(以下DQM3)が1,500円ほどで販売されていたため購入。私のモンスターズシリーズのプレイ歴としては『テリーのワンダーランド3D』(以下テリワン)と『イルとルカの不思議なふしぎな鍵』(以下イルルカ)であり、ランキングバトルを多少たしなむ程度にはプレイしていた。DQM3はネット上での評判がすこぶる悪かったことから敬遠していたのだが、セールでかなり安く販売されていて、しかもDLCを含めてこの価格だったため購入に至ったというわけだ。裏ボスまで倒し、モンスター図鑑も全て埋まったため、感想レビューを書いていく。

不満点:モンスターの数が少ない

DQM3では、モンスターの数が約500匹しかおらず、配合の楽しみが小さい。500匹というと多そうに見えるが、テリワンで600匹、イルルカで800匹なため、それらと比較すると見劣りしてしまう。もちろんDSや3DSの作品とSwitchの作品とを単純比較すべきではないが、過去作より数が減っているということは登場しなくなったモンスターが多くいるということであり、特定のモンスターが好きなプレイヤーにとっては残念だし、何よりモンスターズシリーズにおける最大の楽しみは、特に最高ランクのモンスターを配合で生み出していくことにあると少なくとも私は思っているため、モンスター数の減少はゲームの面白さの減少に直結してしまうと言わざるを得ない。

DQM3における最高ランクであるXランクのモンスターは7匹しかおらず、テリワンにおける最高ランクであるSSランクは約70匹いることを見ても、DQM3の配合がいかに退屈かが分かる。なおXランクの次点であるSランクは約30匹であり、XとSランクを合わせても、テリワンのSSランクの数には遠く及ばない。重要でも何でもないモンスターに関しては削られても仕方がないとは思うが、重要なモンスターまで削られているのには驚きを隠せなかった。例えばミルドラースやデスタムーアの第一形態がいないし、暗黒皇帝ガナサダイのような、ドラクエ本編で大きな敵だったモンスターもおらず、ガルマッゾや神獣、魔戦神ゼメルギアスのような、過去のモンスターズシリーズにおいて象徴的なモンスターもいない。さらにはDQM3でストーリーに大きく関わってくる大敵、ランディオル大帝や暴将ディオロス、リュノ、イシュカ、エスターク・イスナ、エスターク・ジュマは悉く仲間にできず、さすがに意味が分からなかった。これではXランクが7匹しかいないのも納得である。

不満点:大きさシステム

DQM3では個体ごとに1~100の大きさが設定されていて、同名のモンスターであっても見た目のサイズが異なる。そして大きさが1~50であれば1枠のSサイズモンスター、51~100であれば2枠のLサイズモンスターとなるシステムだ。大きさによって、守備力と素早さが変動するという仕様もある。

私がこのシステムを気に入らなかった理由は、モンスターのイメージにそぐわないことが多々あったからだ。例えばエスタークはかなり巨大なモンスターという印象を持っている人が多いだろうし、テリワンなどでは3枠のGサイズモンスターとしてかなりの迫力と威厳があった。しかしDQM3においては大きさシステムによって、スライムより小さいエスタークが存在してしまうのだ。しかも野生のモンスターの殆どはSサイズであり、配合においては両親の大きさの平均付近が子の大きさになるため、少なくとも私のプレイでは、狙ってLサイズにしない限り、Sサイズモンスターしか生み出せなかった。つまり小さいエスタークが当たり前であり、威厳も何もないのだ。モンスターが主役のモンスターズシリーズのはずが、モンスターの魅力が損なわれてしまっていると私は感じる。イルルカでは新生配合の特性入れ替えによってサイズを大きくすることはできたし、スマホ版のイルルカSPではサイズを小さくすることもできたらしいが、小さいサイズが当たり前なのと、自分で狙ってサイズを変更するのとでは別の話だろう。

さらに3枠のGサイズが廃止されたのも残念だ。Gサイズモンスターの殆どは高ランクで特別なモンスターであり、配合で生み出した時の達成感が強かった。その達成感をDQM3では味わうことができない。

とはいえ大きさシステムそのものが気に入らないというわけではなく、大きさによって見た目のサイズやステータス上限が変わるのは自然で面白いと感じた。そこでモンスターごとにSサイズかLサイズかを設定した上で、それを逸脱しない範囲で大きさを変えることができるようにすれば良いのではないかとも考えたが、このような素人の考えをプロが思い付いていないはずがなく、何か問題があったのだろう。

不満点:モンスターの強さの偏り

DQM3の対戦に関しては全く触れておらず(Steam版なのでそもそも対戦機能がない)、オフラインでの自分の認識とネットの声を頼りにする他なく、過去作に関しても多少たしなんだ程度の見識しかない(当時はネット上にそれほどの情報がなかったという事情もある)が、DQM3のモンスターの強さには異常な偏りがあるのではないかと感じている。

まずどう考えても特性「根に持つタイプ」が強すぎる。この特性を持つモンスターが倒されると、倒した相手の全能力が下がり、休みまで付与されてしまうという効果で、強すぎた故に、1戦闘に1回までしか発動しないようにアップデートが入ったらしい。アップデートが入った話を目にする前から明らかに強いと感じていて、1戦闘につき何度も発動していたと知った時には驚愕したものだ。やられた方は不快感が強く、ゲーム体験が悪いというのも問題だろう。

次にブレイク系の特性が強すぎる。DQM3ではブレイク系の特性が相手の無効耐性を貫通できるようになっていて、例えば「氷結ブレイク大」の特性を持っていれば、マヒャデドスでメタルキングにダメージを与えられるのだ。メタル系モンスターを弱体化するためのバランス調整と捉えることもできるが、逆に言えばブレイク系の特性を持たないモンスターの価値が著しく下がっている。加えて、火力をのばすためにコツ系の特性も重視されていて、「氷結ブレイク」と「氷結のコツ」といったように、同系統のブレイクとコツを持つモンスターのみがアタッカーとして活躍できるという状況だ。

霧系の特性や特技がなくなったのも、モンスターの強さを偏らせている一因だろう。霧とは、ポケモンでいう天候のようなもので、例えば赤い霧であれば、敵味方共に斬撃系スキルを使えなくなるという効果がある。霧は戦術の1つであり、パーティの軸の1つでもあったため、霧系の特性を持つモンスターの、対戦における価値は高かったのだが、霧という要素そのものがなくなってしまったがために、強力なモンスターへの対抗手段が減ってしまったことも相まって、活躍できるモンスターの数も減ってしまったのだ。

モンスターズシリーズでは、どんなモンスターにも任意のスキル・特技を付けることができる。それは良いことであると同時に、他のモンスターとの差別化が、特性と耐性しかないということでもあるのだ。一応ステータスでの差別化もできるが、DQM3ではモンスターごとのステータス差が小さく、しかも全ステータスがバランス良く配分されている傾向にあるため、スライムと魔王はほぼ同じステータスだと思って良い。つまり例えば「氷結ブレイク」と「氷結のコツ」の両方の特性を持っていて一見強そうだとしても、他の特性や耐性の差によって強モンスターの完全下位互換になりやすく、パーティに採用する意味が全くないということが起こりやすい。DQM3で言うなら、ゾーマやリーズレット、ナイトウォーカー以外の氷結アタッカーを採用するメリットがないというわけだ。これをある程度解決したのが、イルルカの新生配合による特性の入れ替えだと私は考えている。ある種の制限はあるとはいえ、子の特性1つを、親の持つ特性と入れ替えることができるというもので、これによって使用モンスターの幅が広がったのではなかろうか。もちろん強力な特性は数が限られるため、そういった意味での偏りは避けられないのだが。

ともあれゲームの設計上、完全下位互換が生まれやすく、明確な採用理由のあるモンスターの数が限られすぎていて、DQM3にはこの点を解決できる要素が必要だったのではないかと感じた。ドラクエ4を素材にしているということもあり、モンスターズシリーズに触れてこなかったプレイヤーを取り込む狙いでシンプルな戦闘にした可能性もあるが、あまりに大衆性を重視しすぎて競技性から来る戦闘の面白さが損なわれてしまっている。

不満点:クリア後要素の少なさ

DQM3はエンディング後にできることが非常に少ない。モンスターが500匹しかいないことに加え、エンディング後のストーリーはストーリーとは呼べないほどに短く、ボスを何度か倒すだけで終わる。そしてテリワンやイルルカで存在したやり込み要素である勝ち抜きバトルもないため、エンディングを迎えたらほぼ終わりというゲームなのだ。Switch版ではインターネット対戦もできるものの、モンスターと戦術の偏りによってお世辞にも楽しい対戦環境とは言えず、プレイヤーはどんどん離脱する始末。

エンディング後のストーリーややり込み要素に関してはプレイしない人も多いとはいえ、定価だと8,000円もするゲームなのだから、長く遊べる作りにしてほしかったというのが本音だ。なぜ勝ち抜きバトルが存在しないのか、本当に謎である。

不満点:ストーリー・キャラクター全般

私はモンスターズシリーズにはストーリー性をさほど求めていないとはいえ、DQM3のストーリーにはかなりの違和感を抱いた。例えるなら駄作のなろう系小説のような雰囲気であり、なろう系の駄作小説はどんな層が読んでいるのかで述べているように、キャラクターに人格が搭載されておらず、シナリオライターの都合で動かされているような印象を受けたのだ。言いたいことが山のようにあるのだが、全てを挙げると全シーンに言及する必要がある勢いなので、ここではいくつかに留めておく。

まずはDQM3の主人公であるピサロについてだが、彼が何をしたいのかが最初から最後まで全く分からない。ストーリー冒頭でピサロは、人間界にいる死にかけの母親(人間)を救ってほしいと、魔族の王である父親に直談判しに行くが軽くあしらわれ、魔物と戦えなくなる呪いをかけられてしまう。それからピサロはその呪いを解く方法を見つけることと、父親を倒して魔族の王になることを目標にするというのが最序盤の展開なのだが、既に意味不明な点がある。死にかけの母親のもとを離れて魔界までなぜ出向いたのか、人間界から魔界へ行くためにはトラベライトというアイテムが必要なのにどうやって行けたのかといった疑問はさておき、ここで言及したいのは、魔族の王になるという目標はどこから来たのかだ。母親を見捨てた父親を倒すという目標までは理解できるが、魔族の王になりたいというのはよく分からない。魔族の王になって人間を支配したいのか。だが亡き母親は、ピサロが人間と争うことを望んでいなかったし、ピサロはそれを知っているのだ。さらにピサロはストーリー中盤に差し掛かる頃にエスタークの存在を知るのだが、ここで突然、人間を滅ぼすという野望を抱くようになる。突然というのは本当に突然であり、エスタークを従えて父親を倒すという話を直前までしていたにもかかわらず、次のシーンでは人間を滅ぼすという話にすり替わっていて、それが最大の目標であるかのような展開になるのだ。エスタークを従えるということは人間との対立を意味することになりそうではあるが、ピサロが喋らないということも相まって、説明不足で唐突すぎるため意味が分からなくなる。幼少期に助けた人間に裏切られたとか、ロザリーを見世物にしようとしていたといったような、人間の醜い姿を見てきたからという動機は考えられるが、醜い人間の描写がかなり少ない上に、ピサロは最序盤以外では魔界を旅していて人間との関わりがほぼなく、人間の醜さに日々嫌気がさしているといった描写もない。さらにその後のデスパレスでは、父親を倒すという話に戻っているのだ。何がピサロの信念なのか、意味不明である。ピサロに関する他の違和感を挙げると、偽ロザリーとベネットのどちらを信じるかという分岐において、プレイヤーがどちらを選択しても、ピサロは偽ロザリーを信じてしまい、エビルプリーストの策にまんまと嵌まるのだが、あまりにもピサロの目が節穴だと言わざるを得ない。ピサロがロザリーのことをどう思っているかは作中では語られていないが、その後ロザリーが人間によって殺されると、絶望のあまり進化の秘法を使って世界を滅ぼそうとするくらいには、ロザリーのことを大事に思っていたはずだ。しかしピサロは偽ロザリーを見抜くことができないという、意味の分からない展開になっている。大事な仲間の偽物を見抜いて絆を示すというのは定番の展開なため、プレイヤーの目にはピサロが単なる間抜けとしか映らない。しかも酷いと私が思ったのは、直前に「この選択は重要なものになる」というセリフがあることだ。しかしプレイヤーがベネットを信じる選択肢を選んだとしても、その後すぐに偽ロザリーを信じるという展開になる。であればそのようなセリフと選択に何の意味があるのか。つまるところ、ドラクエ4の展開をなぞることに注力するあまり、ピサロというキャラクターやストーリーが違和感しかないものとなっているのだ。

ピサロだけで長くなってしまったが、ロザリーに関しても言いたいことがある。顔面が全く可愛くなく、魚類に似ているというルッキズムにまみれた意見は置いておくとしても、彼女の人格が破綻しすぎているのだ。ロザリーは人間に見世物として酷い扱いを受けていて、そこでピサロがその人間に火をつけることで助け出すというのが2人の出会いのシーンなのだが、その際にロザリーはピサロに礼を言わないどころか、ピサロを責めるという行動に出る。これもドラクエ4をなぞりたいがためにおかしくなっていて、ドラクエ4ではピサロが人間を躊躇なく殺すことでロザリーを救っているため成り立つのだが、DQM3では主人公のピサロが人間を殺すのはまずいということでか、軽く火をつけるという程度に留めている一方で、ロザリーの対応はそのままなため、人格破綻者かのようになってしまっている。良い見方をすれば、ロザリーは心優しいエルフということなのだろうが、その後魔界を旅するようになってから、ピサロがボスを次々と倒すことについては何の疑問も抱かず、ピサロに先に進むよう笑顔で促すため、その見方にも無理があるのだ。もちろん魔物は悪い生き物というのが少なくとも人間目線では一般的ではあるし、実際のところボスは悪い魔物なのだが、ロザリーは悪人にも同情できるほどの人物であり、ピサロやピサロの仲間たちと暮らしていたり、各魔界の住人と関わりあったりしている以上、魔物は倒すべき害虫という考えもないと思われるので、ボスを倒すことに積極的であるはずがないのだ。このようにロザリーは人格破綻者になってしまっているが、付け加えるなら存在意義もかなり薄い。ロザリーがピサロと一緒に暮らす際に、エルフは呪いを解くのが得意な種族だからピサロの呪いも解けると言っているのだが、実際に呪いを解くのは、かけた張本人であるピサロの父親であり、ストーリー中でのロザリーの出番はないに等しいと言って良い。このセリフがあったため、私はずっとロザリーが呪いを解いてくれるものだと思っていたが、父親があっさりと解いたのを見て拍子抜けだった。一応ロザリーには、トラベライトを起動させるという役割があるものの、ピサロは幼少期に一人で魔界の父親のもとへ行っているし、ベネットも魔界へ行けているため、何が何なのかもはや分からない。

次に不満を言いたいのはベネットについてだ。ベネットは自称相棒ポジションだが、私見では、ドラクエ11のカミュとは全く異なり、作中最悪の人物である。まず、私利私欲のために盗みを働くだけでなく、盗みを悪いことだと認識していないという時点で論外だ。「いったいどうしてそんなに盗みを憎むんだ?」というセリフには驚かされた。初登場の時点で印象最悪のベネットだが、その後も特に印象が回復することなく、むしろピサロと喧嘩して出ていくという展開のせいでますます悪化する。さらに言うとこの時、ロザリーが必死にベネットを引き留めようとするのも意味が分からない。ベネットは少なくともプレイヤー目線では盗人で悪人であり、実は善人であるという描写も、やむを得ない事情で盗人をしているという描写も特にないのだが、ロザリーはベネットのことを人間の善人代表であるかのように認識しているのだ。初登場時から悪人をかばいがちなロザリーだったが、やはり色々とおかしいとしか言いようがない。話をベネットに戻すが、先にも述べた、偽ロザリーとベネットのどちらを信じるかという展開においては、その前にベネットは本物のロザリーが人間に誘拐されるのを目撃していたにもかかわらず、自分で助けに行くこともせずボケっとピサロを待っていて、ピサロが自分を信じてくれなかった後も、ロザリーを助けに行くことはなかった。これが善人のすることなのか、ロザリーの目は節穴だ。一応スクエニが見せ場として想定しているであろう、ピサロが進化の秘宝を使って破滅の道を歩んだ後、ベネットが「時の砂」を使って、偽ロザリーとベネットの選択にまで時を巻き戻すことでピサロもロザリーも救うという、もう何でもありな展開が用意されているが、この「時の砂」は盗品な上に、そもそも魔法研究家を自称しているのだから誘拐犯をその場で倒したり、盗みをしない・盗品を使わないというピサロとの約束を守るために素手で戦いに行ったりするというくらいのことをすべきだったのではないかという疑問しか残らない。そうすればピサロは破滅の道を歩むことなく、ベネットの株が上がること間違いなしだし、ピサロの人間に対する見方を変えることもできるのだが、ここでもドラクエ4をなぞって進化の秘法を使わせたいがために、ピサロは偽ロザリーを見抜けない間抜けとなり、ロザリーは人間に殺され、ベネットは株が地に落ちたままになっていて、プレイヤー含めて誰も得をしていない。DQM3はドラクエ4のパラレルワールドなのだから、こちらの世界ではベネットの活躍のおかげで破滅を回避できたという展開にすれば良いものを、このような展開、しかも「時の砂」という何でもありのチートアイテムに頼ったせいで、陳腐なストーリーになってしまっていると私は考える。

他にも、チュートリアルで出番が終わったアゲぴぴは何だったのか、勇者一行が暴将ディオロス戦で仇のはずのピサロに加担し、その後ピサロを見逃す判断をした意図は何だったのかなど、疑問点を挙げればキリがないが、おおよそ、ドラクエ4の展開ありきでキャラクターを動かしつつもピサロを主人公に据えているせいで、ストーリー・キャラクター共におかしなことになっているのだ。しかもドラクエ4をなぞるなら忠実になぞれば良いものを、3匹のエスタークや、山奥の村を襲撃した真犯人など、ドラクエ4の根幹を揺るがすような改変を下手に加えたがために、モンスターズシリーズとしてもドラクエ4としても微妙な出来になってしまっている。なぜこんなにも穴だらけの作品が世に出てしまっているのか、疑問を禁じ得ない。

総評:モンスターズだから楽しいだけ

ここまで不満点しか書かなかったが、全く楽しめなかったわけではない。そうでなければモンスター図鑑を全て埋めるまでプレイしないだろう。しかし楽しかったのは配合で新しいモンスターを作成していくことであり、DQM3が楽しかったわけではない。むしろDQM3は駄作だと考えている。私がモンスターズに求めていることはモンスター関連であり、ドラクエ本編の補完や本編と同じようなストーリーではないのだ。本編をプレイしたい人は本編をプレイすれば良く、ドラクエ4の要素を入れたいのであれば、ドラクエ4を知っている人が見ればニヤリとできる程度の内容に留めておくべきであり、メインに据えるべきではないだろう。そしてモンスターズシリーズの要であるはずのモンスター関連が疎かになっていて残念だ。

だがDQM3が全くの無意味だったというわけではない。DQM3の元々の主人公はカミュとマヤであり、それがピサロに変更されたということで、裏でどんな事情があったのかをプレイヤーが知る由はないが、結果としてDQM3はドラクエ4をなぞるという、モンスターズシリーズとしては新しい試みを行っており、モンスター関連の要素に多大な変更を加えてシンプルにしていることからも、好意的に考えれば、新しいことをする挑戦作であるという見方ができる。しかしDQM3はかなり売れたものの、実情はこの体たらくで評判も悪いということで、スクエニもこの方向性ではダメだという認識ができたのではないか。DQM4では従来のモンスターズシリーズの方向性で作ってくれることを期待したい。尤も近年のスクエニはコンシューマーでもスマホでも期待外れな作品を出してくることが多く、DQM4に関しても期待しすぎるのは禁物だ。期待は低ければ低いほど良い。そして最後に付け加えるなら、本来ゲーム本編に付属すべき機能をDLCと称して高額で売り出すのは本当にやめてほしい。