現代のゲーム攻略は単なる作業と化しているのではないか

ゲームに何を求めるかは人によって様々だ。重厚なストーリー、魅力的なキャラクター、美麗なグラフィック、歯ごたえのある戦闘や謎解き、収集要素、容易に得られる成功体験、もしくは惰性による単なる暇つぶし。何を求め、どんな動機でゲームをプレイするのかは個人の自由ではあるが、始めから終わりまでの一連のゲーム体験を能動的に楽しむのが従来の目的であったと私は考えている。しかし現代のゲーム体験は受動的になっていて、単なる作業と化しているのではないかと感じるのだ。

最適解に浸かりすぎたプレイヤー

基本的にゲームには最適解が存在し、一部のプレイヤーによってそれは暴かれる。このボスにはこのキャラ編成が最適だ、このアイテムを使うと楽に勝てる、ここに隠しアイテムがあるから取っておくべき、こうすれば簡単に経験値やお金を稼げる、といった情報はインターネットで共有され、多くのプレイヤーが知るところになる。そういった情報を一切見ないようにしていたとしても、SNSなどで不意に目に入ってしまうケースは珍しくない。情報を完全にシャットアウトしたいなら、SNSを開かないようにしなければならないほどに、インターネットはネタバレで溢れているのだ。

誰もがスマホを所有していて、最適解へのアクセスが容易な状況に置かれていることで、最適解でプレイするハードルが下がっている。問題を解いているときに目の前に模範解答を置かれたら、つい書き写してしまうものだ。そのような状況下においては、次第にプレイヤーは自分で解を求めることを止めてしまい、模範解答をなぞることに抵抗を感じなくなる。

一部のプレイヤーは、最適解こそが唯一の解であると考えていて、最適解以外を認めない上に、他プレイヤーにその思考を押し付けるケースすらあるのだ。こういったプレイヤーは、例えばYouTubeライブのコメント欄などで確認でき、指示厨という蔑称で呼ばれることもある。配信者が求めていない最適解や解説を、コメント欄で得意げに語るような人たちだ。それをしているのが最適解を導き出した本人であれば百歩譲ってまだ良いのだが、基本的にはインターネットで見た情報を自分の知識だと勘違いしてコメントしているだけに過ぎない、AI未満の存在である。AIはこちらが尋ねないと喋らないのに対し、指示厨はこちらが尋ねなくても勝手に喋りだすため、本当に迷惑な存在と言える。一生ミュートにしていたい。他の例としてスマホゲームでありがちなのは、キャラのTierランク表だ。キャラの現時点での強さをランク付けしたものだが、これも最適解を絶対視するが故の産物だという見方ができる。最強のキャラを持っていなければならないという強迫観念が、プレイヤーに芽生えているのだ。対人要素が全くないゲームでも、Tierランク表が生まれているのが驚きである。

ストレスフリーなゲーム設計

ゲームにおいてはストレスが非常に重要となる。適度なストレスとそれに見合った報酬のないゲームは面白くない。ではストレスと報酬とは何か。ゲームにおけるストレスとは、強敵や謎解きをはじめとする、プレイヤーを阻む障害のことであり、報酬とは経験値やドロップ品といった、キャラの成長に繋がるようなものはもちろん、次のステージに進めること自体も報酬になり得る。要するにゲームとは、ストレスである障害を越えていくことの連続であり、障害を越えてストレスが解消され、報酬を得たときに楽しさを感じるようになっているはずなのだ。

しかし現代のゲームはストレスフリーな親切設計になっていることが多い。次に何をすれば良いのかが1から10までゲーム内で説明され、目的地がマップに分かりやすく表示されてすらいる。その表示に従ってゲームを進めれば、クリアできるようになっているのだ。私が最近プレイしたゲームボーイの作品ではそんな親切設計になっておらず、特に後半においては、次に誰に会うべきかのヒントしか提示されないこともあった。他のストレスフリーな例で言えば、『世界樹の迷宮』という私の好きなダンジョンRPGは難しさを売りとしているのだが、ナンバリングⅣから難易度を選択できるようになり、その次に発売されたⅠのリメイク作品からは、さらに簡単な難易度が追加された。しかしこのゲームは、ストーリーは無いようなものであり、迷宮の攻略や戦闘に重きを置いている。つまり難易度を下げることによって、ただ単に迷宮を歩くだけのピクニックとなってしまう。おまけに、従来の難易度がExpertで、1段階易しい難易度がNormalという名前になっているせいで、Normalが基本の難易度かのように勘違いし、本来のゲーム体験が損なわれるという問題もあるのだ。

ただこれは仕方のないことでもある。現代ではゲーム以外にも大量の娯楽が存在し、その大量の娯楽が人の可処分時間を奪い合っているからだ。つまりストレスを超えて楽しみを得られるゲームではなく、ストレスなく楽しみを得られる別の娯楽を選ぶことが可能であり、そのためゲームもストレスフリー、もしくは低ストレスにならざるを得ないという事情があると考えられる。

現代:平坦な道を最適解で進むだけ

現代のゲーム攻略は、奇麗に舗装された道路を、ナビを見ながら車で進むだけとなっているのではないか。私の認識によれば、従来のゲーマーは結果より過程を重視していて、標識や自身の直感を頼りに自分の足で歩いていくことに価値を見出していた。しかし現代のゲーマーは過程より結果を重視していて、楽に結果を出せるナビ付きの車を要求しているのだ。試行錯誤は退屈で、クリア自体が面白さだと思っている人が多く、コンテンツを消費した感に楽しみを見出し、プレイ済みという称号に価値を感じているということだ。同時にゲーム側もそのようなプレイヤーに迎合し、砂利道ではなく舗装路を整備するようになっている。しかし自分でゲームをプレイするのは、「自分で」ゲームをプレイするためのはずだ。高速道路を快適にドライブするのも悪い体験ではないが、徒歩でしか味わえない風情があることを忘れてはならない。