現実では肩身が狭い思いをしている陰キャでも、インターネット上では輝く星になれる可能性がある。例えばYouTuberが陰キャであることを売りの1つにし、それに視聴者が勝手に親近感を覚え、「陰キャの星」と崇め奉るケースだ。しかし彼らが少しでも「陽キャらしいこと」をすると、一部の視聴者は裏切られたかのように感じてアンチになる。しかし本当に裏切られたと言えるのだろうか。そもそも本当に彼らは「陰キャの星」だったのだろうか。
陰キャは多くの集合を内包する
陰キャの定義とは何か、人によって答えは様々だろう。コミュニケーションが苦手な人、アニメやゲームに造詣が深い人、異性とまともに会話ができない人。おそらく多くの人は、このように具体的な属性を陰キャと定義づけようとする。しかし私から言わせれば、陰キャとは陽キャではない人のことだ。では陽キャとは何かという話になるが、それは陰キャではない人のことを指す。堂々巡りになってしまうが、実際のところ、陽キャや陰キャを具体的な属性で定義づけることはできないだろうし、その必要もない。そもそも数十億人の人間がそれぞれ持つ属性を、陽キャと陰キャという二元論的に分類しようなどということが間違っているのだ。しかしここで言いたいのは、陰キャとは抽象的な概念であり、コミュニケーションが苦手な人、アニメやゲームに造詣が深い人、異性とまともに会話ができない人、というような無数の集合を内包していて、特定の1つの属性を表すものではないということだ。そして例えばコミュニケーションが苦手であれば陰キャと分類できるが、陰キャであればコミュニケーションが苦手とは限らないということにも注意したい。
陰キャの階層構造と認識
陰キャという概念に内包されている集合は横一列ではなく、階層構造になっている。下に行くほど世間で言う負け組、教室の隅っこでひっそりと佇んでいるような陰キャ、もっと言うとそのまま4、50代になってしまったような陰キャであり、上に行くほど陽キャに近い属性を持つ陰キャとなる。ここで問題なのは、自分の階層以下の陰キャだけを陰キャだと認められるということだ。例えば1人も友達がおらずハブられて生きてきた最下層付近の陰キャにとっては、同じように最下層付近の人だけが陰キャであり、彼氏彼女がいるような人を陰キャだとは認識しない。しかし実際には、彼氏彼女がいても、自己評価でも客観的にも陰キャである人は大量にいて、それが最下層には認識できない上層の陰キャだ。
さらに問題なのは、インターネット上ではその人がどの階層の陰キャなのかを判断しにくいということだ。必ずしも素の性格を出しているわけではないし、プライベートの全てをさらけ出しているわけでもないだろう。つまり最下層にいる陰キャは、陰キャを自称する人は皆自分と同じ陰キャ(=友達が1人もいない)だと勝手に認識してしまっているが、実際には遥か上層にいる陰キャ(=コミュニケーションは苦手だが、彼氏彼女がいる)である可能性がある。
これが認識できる範囲の差異によるズレであり、何かの拍子に上層にいることが発覚して「全然陰キャじゃない」と、「陰キャの星」から裏切られたように感じる理由だと考えられる。しかし彼らははじめから「最下層の星」ではなかったというだけの話なのだ。
最下層にいるのはあなただけである
親近感を覚えていた他者の「陽キャらしさ」を目の当たりにして裏切りや憎悪を感じるのであれば、それはあなたが最下層付近にいる証拠だ。あなたが感じる「陽キャらしさ」は、世間では「一般的」と分類される事象に過ぎないからだ。そして最下層にいるという自覚があり、上層に憧れを抱いている証拠でもある。そうであるならば裏切りや憎悪を感じるのは建設的ではない。はっきり言うが、あなたが認識できる範囲の陰キャ、つまり最下層付近の陰キャはほぼ空集合だ。例えば、Twitterで人生詰んでいるような雰囲気を醸し出している人たちとオフ会をすると、身だしなみを整えた陰キャ(あなたから見れば眩しいかもしれない)がやって来る。シワシワの服、ダボダボのズボン、ボサボサで長めの髪、ゲジゲジの眉で外出するのはあなただけであり、あなたが同類だと思っていた陰キャは皆、上層の陰キャだ。他者を自分と同じ最下層だと錯覚したまま虚妄の仲間意識を育んだ挙げ句勝手に「裏切られる」のではなく、現実を正しく認識して一旦受け入れた後にそこから脱す努力をし、嫉妬や劣等感という不幸がこの世界から1つ消えることを願う。